2015年5月のブログです。
私は、ほとんどのお医者さんは検査で異常がみられない患者さんに
対して事務的な態度をとると書きました。こう書くと、一生懸命治療を
行っている先生が気分を害してしまいそうです。彼らは検査をしても
異常がみられない患者さんを軽くあしらっているつもりはないからです。
彼らはただ、重病の患者さんを見つけることや治療することに一生懸命
なのです。そして、治療の成功は、先生をもっと一生懸命にさせてしま
います。この態度は、医学の発展のためには重要なことであり、私たち
はこの態度に敬意を払うべきだと思います。
しかしこの先生の一生懸命さは、重病でない(彼らが重病と見なさない、
または日常生活に支障はないけど症状を訴える)患者さんに向くことは
ありません。この一生懸命さは、「異常がないということを医学の力で
明確にしましたよ、よかったですね」というこの言葉で患者さんの問題を
終わらせてしまいます。一見して優しそうな言葉、態度を通して患者さん
の訴えを医学の力、つまり権力でねじ伏せてしまうのです。
時にはさわやかな笑顔とともに。
患者さん自身は異常を訴えているにもかかわらずです。
この一生懸命さがあるために、お医者さんは患者さんの訴えを無意識
に否定することになります。このお医者さんの態度では、困っている人
を救済することができません。その意味では患者の苦しみを軽減させる
使命を背負った医療者として非常に罪深い態度であると言えますし、
それが無意識であるがゆえにこの問題は現在、更に根深いもので
あると私は認識しています。
もうすこし、「患者さんの訴えを否定するお医者さん」の特徴を述べて
みましょう。このような先生は、自分の理論から解釈できる症状に対して
は非常に強い学問的な興味を示しますが、自分が身に着けた理論から
は解釈できないような患者さんの症状には興味を示しません。
自分が身に着けた理論から解釈できる患者さんは、例えば、クッキー
に例えることができます。
型どられたきれいな姿のクッキーにはお菓子としての価値があります。
しかし、同じクッキーの生地であるにもかかわらず、型の外側の生地は
「余ったもの」として意識が向けられることはありません。
「不定愁訴」とは正に、クッキーづくりの際に出る、クッキーの型の
外側の「余った生地」と同じ扱いなのです。ここは関心の外側です。
効率を重視するクッキー工場では捨てられるかもしれません。
でも、このような先生を一方的に責めるわけにもいかないようです。
なぜなら、自分が理解できるものには興味を示して、理解できない
ものには興味を示さないことは、誰にもあることだからです。人間の
思考パターンともいえるのではないでしょうか。この問題は非常に
難しい問題です。しかし非常に重要な問題でもあります。ですから
後ほど詳しく考えたいと思います。
(つづく)
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